里見ストーリー④ 中学生が仕事??

前回に引き続き、
私の過去の生い立ち、
ストーリーシリーズです。

以前のものから見たい方はこちらから。
↓↓
里見ストーリー①初めての記憶
里見ストーリー② 小学校時代 猫と父親の思い出
里見ストーリー③ 暗黒の中学時代

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おばあちゃんの家に引越して

おばあちゃんの家に引越ししたのは、
僕が中学二年の夏前くらいだったと思います。

引越しの理由はウチの経済的なところと
家事もおばあちゃんがある程度やって貰えるから、
多少は楽になるだろう、ということだったと思います。

おばあちゃんの家に引越しして色々と変わりましたが、
やっぱおばあちゃんと一緒に暮らすことが一番大きかったです。

悪い意味のほうが多いのですが・・・

特におばあちゃんと僕の上の妹が仲が悪く、よく喧嘩していました。

おばあちゃんもとても頑固で理不尽なところもあり、
単に気に入らないからという理由で妹と喧嘩していたこともよくありました。
上の妹も気が強く、お互い意地の張り合いみたいなとこがありました。

おばあちゃんの家に引っ越すことで僕は自分の部屋のようなものができました。

全然家は広くなく、むしろ前より狭くなっていましたが、
僕の部屋ができました。

そのしわ寄せは妹達に行って、
妹二人、母親、おばあちゃんは
6畳くらいの部屋で並んで寝ていました。

そのことで、特に上の妹は不平を漏らしていましたが、
直接は言われたことはありません。
母親とかに行っていたのが聞こえてくる感じでした。

上の妹とは年が2歳しか離れていないのもあり、
直接話すことが少なくなりました。
母親や下の妹を通して話すことがありました。
お互いに微妙な距離感を感じていました。

中学生が始めた仕事とは??

おばあちゃんの家に引っ越してきて、
3ヶ月くらい経ったことでしょうか?

母親に「新聞配達やってみないか?」といわれました。

おばあちゃんの隣の家に住んでいるおじさんが
近くの新聞屋の経営者の知り合いで、
紹介してくれるとのことでした。

なんとなく僕もお小遣いが増えるなら、と思い、
そのおじさんに連れて行かれて、
早速次の日から新聞配達を始めました。

新聞配達は朝3時に営業所に行って、自分の配達分の折込広告を挟んでいきます。
はさみ終えたら。新聞を積んで配達に行きます。
僕はまだ14歳だったのでバイクにすら乗れず、自転車で配達していました。

新聞も50~100部くらいの束になると相当重く、
初めての時はとてもふらふらと自転車を漕いでいました。

団地などエレベーターの無い配達場所も多く3時間近く動きっぱなしでした。

そのころ、毎日ごろごろして食っちゃ寝していた僕は、
当時82キロくらいの体重があり、
完全に肥満体型でした。

しかし、新聞配達を始めてから一ヶ月ほどで10キロくらい一気に落ちました。
あまりにも急激に体重が落ちた為、肉われを起こし、
腰や太ももの裏にはいまだにその跡は残っています。

新聞配達をして褒められることが多くなりました。

はじめは先輩の方に付いてもらって配達の家を教えて貰うのですが、
僕は一週間もしないうちに一区域覚え、
次の週は別の区域、そのまた次はもう一区域覚えました。

「里見くんはもの覚えがいいなぁ」
教えてくれた、初老に近いおじさんはそう褒めてくれました。

それまで学校で居場所がなく、
ただ家に引きこもっていただけの僕にとって、
意外な場所がありました。

別段、仲の良い人が居るとかたくさん話すとかはないのですが、
仕事をするやることがあるということは楽しかったですし、
配達中は誰にも話す必要もないので意外と向いていることが分かりました。

はじめは朝刊だけでしたが、途中から夕刊も配るようになり、
僕は給料が8~9万くらいもらっていました。

休みは月一回。
配達時間は4~5時間と別に条件は良いわけではなかったのでしたが、
中学生でそれだけお金をもらうことはありえませんので、
とても自由に使っていました。

とは言っても、お菓子とかジュース。
たまにゲーム買うくらいで結構あまってましたけど。

今思えば、あのころが一番お金もっていたなぁ(笑)

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中学卒業

中学一年生の三ヶ月間だけ通い、
そこから夏休み以降は一切登校しなくなりました。

結局そのまま三年間登校しずに終わりました。
一応個人的な卒業式はやってくれるということで、
校長室で僕だけ特別に卒業式をやってもらいました。

ただ正直このような僕だけのために
校長先生が卒業式を行ってくれたことに対して、

「わざわざ、申し訳ないなぁ・・・」

という気持ちはありましたが、
嬉しいとか感動したとかはありませんでした。

当時、僕は人に対して劣等感を強く持っていたり、
また表面とは別に裏では何を考えているか分からない、
僕のことを悪く言っている、そんな疑いの思いがとても強く、
人の好意を素直に受け止めることが出来ませんでした。

また自分の思いや感謝の気持ちを伝えることも出来なかったです。

まあ、この頃はそもそも人とはほとんど会わないのでその機会もないのですが。

一応新聞配達のおじさんたちとは顔はあわせますが、
「おはようございます」「おつかれさまでした」
の二つくらいしか言葉は交わしません。

普通中学卒業というとかなりの大イベントというか、
色々な思い出などが交錯して、
人によってはとても感慨深いものになるはずです。

しかし、僕にとっては何の思い出もない中学校でしたので、
ただ卒業証書をもらっただけというとても寂しいものになりました。

実際には僕個人は寂しいなんて感情もなかったのですが、
本当にただ淡々と時が過ぎていった・・・
そんな感覚です。

受験、その結果は・・・?

中学卒業し進路に関してですが、ほとんど何も考えていませんでした。
ただやはり親は心配していたのでしょう。

三年生の時の先生とお話してきたみたいで、定時制の高校とかあるから、
それ受けてきたら?と薦めてきました。

僕は全然乗り気じゃなかったのですが、
かと言ってこのままでも良くないことは、
分かってはいたのでその高校を受けることにしました。

受験当日は同じ学校からも数人その学校を受験していました。

そういう学校を受ける生徒なんで、
やはり僕と同じように休みがちになっているような、
クラスに馴染めないような、そんな子達が集まっていました。

そういう意味では同じ学校の生徒を避けていた僕でも、
多少は気が楽になりました。

そのときは確か5~6人くらいだったかなぁ?

同じ中学から受験していて、
ある男子の子と話していたら持っているゲームの話になりました。

するとその子は自分の持っているゲームソフトを早口で羅列し始めました。
「ナンチャラとチョロQと○○と■■とナニナニとアレソレと・・・」

それを聞いた僕は、、、

(うわぁ・・・こいつキツイなぁ・・・なんか一人で勝手に喋りはじめてるし、
こっちの話聞かなさそうだなぁ、話すの面倒くさい奴だなぁ・・・)

失礼ながら自分のことは棚に上げて、
彼に対しては申し訳ないけどそんな風に思ってしまいました。

僕は人の目をとても気にする癖がついていて、
特に他人がどう思うのか?どう他人に映るのか?
そんなことばかり考えていました。

だからかもしれませんが、
思えばこのころから人のことを観察したりだとか、
分析したりすることもクセがあり、
それは今も引き継がれているのだと思いました。

受験については受験勉強も全くやっておらず、
問題もほとんど解けませんでした。

髪の毛も伸ばしっぱなしで、
背中の真ん中くらいまであり、
後ろで結んでいました。

見た目はアキバでリュックからポスターが出ていそうな、
完全にイタイ奴でした(笑)

その容姿のせいなのか?
テストがほとんど出来なかったせいなのか?
わかりませんが、僕は高校受験に落ちてしまいました。

定時制のかなり緩めの学校であるにも関わらず、
同じ中学から受験したほかの子達はみんな合格していましたが、
僕は一人だけ落ちてしまいました。

一緒に見に行った母親は、

「残念だったねぇ」
「帰り何か食べに行こうか?」

そう言って二人でパン屋さんに行って、
そのまま中のイートインコーナーでパンを食べていました。

別に受験勉強したわけでもないし、
受けたくて受けたわけではないとは言え、
不合格という事実は若干ながらショックを受けたことは覚えています。

ただそれ以上に母親になんだか悪いな、
惨めな思いさせてしまったな・・・
そんな想いのほうが強かった気がします。

その落ちた学校の時点で三月ですので、
次の受験はなく僕は4月から高校には行けないことは確定しました。

別段、それ自体になにか思ったことはありません。

ただ自分は他の人とは違うんだ、
だから高校行けないのも当然なんかな、
くらいに思っていたとおもいます。

それから僕はそれまでやっていた新聞配達を続けていました。

ただ、もっと違うこともしたいとか理由は忘れましたが
夕刊のほうの配達はやめて、
別のバイトをしようと思いました。

そこで求人雑誌に載っていたマクドナルドで働くことにしたのです。

別にそこに深い理由はなく、
15歳くらいで雇ってくれるのがマクドナルドくらいだったからです。
面接に行き、すぐに採用されました。

これで僕は朝は新聞配達、夕方から夜まではマクドナルドで働くという生活になりました。

同年代に混じる苦痛

マクドナルドでは同年代の若いバイトが多く、
正直居心地は悪かったです。

みんな僕より優れているように思え、
話も上手でなんだかオシャレな感じがして、
僕は劣等感しか持てませんでした。

ですので、
他のバイトの人達とはほとんど話せない日々が過ぎました。

ただ、仕事自体は覚えるのは早いほうで、
上司の人からはそれなりに褒められたりもしたので、
そういう部分にやりがいや喜びを思えていました。

結構主婦のおばちゃんからは可愛がられたりもしていました。

それでもやはり、同年代との会話が苦手で、
たまに話しかけられたりしますが、
どうも上手く答えることが出来ずに黙ってしまうことも多かったです。

あるとき、閉店作業をしているときに
同時期に入った同じ年齢のバイトの男の子に、

「どこの高校行ってるの?」

と聞かれました。

僕は高校に行っていないということが言えませんでした。

高校に行っていないことにとても劣等感を感じていたのでしょう。
せっかくそこまではまあまあ楽しい雰囲気で話せていたのに、
僕はその質問に答えることが出来ずに、うつむき黙ってしまいました。

その後の会話はなかったです。

いま思えば、高校に行ってないなら行ってないと言ってしまえばいい、
そんなことは大したことじゃないのは分かりますが、

意識していなかったとは言え、
深層心理では自分の状況が恥ずかしいこと人に知られたくないような事、
そんな風に思っていたのかもしれません。

アホな話ですが、当時の狭い価値観、
狭い世界感ではそう思うのも無理はないのかもしれませんね・・・

————————————
今回は以上です!

>>次回に続きます

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